梅津物語

 

 

 

 

 

 

 

 

梅津の酒づくり

   
 

慶応元年、
初代・平蔵の酒造り始まる

今は昔、伯耆(ほうき)の国(今の鳥取県中西部)には、伯耆富士といわれる秀峰大山(だいせん)から湧き出る豊かな水と自然に恵まれ、人情味溢れる穏やかな暮らしの中に酒造りに適した気候風土がありました。
慶応元年、初代・平蔵(へいぞう・江戸〜明治)が、この地で酒造りを始めて以来、ずっと地元に密着した酒づくりをしており、二代目・喜之吉(きのきち・明治の頃)を経て、それぞれの時代の蔵元による個性あふれるお酒が生み出されてきました。
古くは「愛梅(あいばい)」とか「浜千鳥」「円満」という銘柄があったといいます。

三代目・藤蔵の
 応援之酒「冨玲」

三代目・藤蔵(とうぞう・大正〜昭和の頃)は、10代で南カリフォルニア大学に留学、テニスの名手で腕前は邦人大会で優勝をしたほど(右写真・トロフィー)でした。その後、高校の教師をしながら家業を継ぎ、最高級のお酒の名前を考えている時、あの応援の声援「Hurrah! Hurrah!(フレー、フレー)」を思い出し、漢字で「冨玲」と名付けました。日本語に訳せば「頑張れ!」「万歳!」という、縁起も景気も良いお酒です。梅津酒造の礎であり、今では蔵を代表するお酒となりました。
       レトロな「冨玲」の陶器瓶

四代目・雅裕の
砂丘特産品を使った
「砂丘長いも焼酎」

四代目・雅裕(まさひろ・昭和の頃)は、鳥取大学で発酵工学の教授をしており、酒蔵は夫人に任せておりました。ある時、地元の砂丘長芋の生産者から「この長芋で焼酎ができんかね?」と持ちかけられ、断る理由もなく試行錯誤の末に出来上がったのが「砂丘長いも焼酎」でした。
この焼酎はヒット商品となり、鳥取県を代表するお酒の一つとなりました。
        砂丘長いも焼酎

梅津酒造の酒造り

古い土壁のある階段

トロフィー

レトロな「冨玲」の看板

生もと

 

五代目・雅典の
地元を大切にする心
じげの酒「うまいがな」

五代目・雅典(まさすけ・現在)は、酒造りをしている者が地元の農業や米のことを知らずにいられないと、地元の人たちと一緒になり、米作りからお酒の仕込までをやる「ジゲ酒の会」を結成。「健康と環境を考えた酒造りを」と無農薬を目指し、手作りの純米酒にこだわって、じげの酒「うまいがな」が誕生しました。
      「うまいがな」味わいタイプ「うまいがな」やわらかタイプ

五代目はさらに、
梅に惚れ込み
 梅酒「野花」を

また、新しいものに挑戦する探求心が旺盛な五代目は、湯梨浜町野花(のきょう)だけで生産される大きな果肉をつける梅「野花豊後」と出会い、日本酒で仕込む梅酒を考案。梅酒といえば焼酎が普通でしたが、風味豊かで上品なお酒に仕上がり、梅酒のイメージをがらりと変える斬新な梅酒「野花」となりました。
        良熟梅の酒「野花」

力のある純米酒造り
を目指して

創業時から伝承されてきた酒造りの心技、手間を惜しまず全ての行程を手造りで行う、その一途な姿勢は小さな蔵ならではの頑固なこだわりです。平成18年の仕込みから、すべての日本酒を米と米麹だけで造る純米酒に変えました。
無冠の名酒としての自負を持ち、これからも地元の農業と関わりを持ちながら、「力のある純米酒造りを目指していきたい」という蔵の想いは深まるばかりです。

 
   
           
 

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